浦上成宗 - うらかみしげむね

浦上成宗について

1573年?-1636年

浦上成宗(うらかみ しげむね)は、浦上宗景の末子。 幼名は與五郎、成人して太郎三郎と名乗ったという。

兄姉に、甲孔(與次郎)、國宗(彦五郎)、政景(六郎次郎)、女子とする記述を目にする。 また別に、浦上玉堂略歴のなかで、宗景の子に宇喜多家に仕えた浦上小二郎という記述もあり。

成宗は、天神山落城後、二歳のとき高取備中守に預けられたという。高取に養育されて元服し浦上太郎三郎成宗と名乗り、高取の娘・沢を妻とした。のち高取備中守が関ヶ原合戦で討死するとそのまま土着した。成宗は飯井村で生涯を終えたという。

子に、宗利、治郎左衛門、兵左衛門をもうける。宗利は酒屋という記述あり。 また別の記述で、景則(六兵衛)、成村(次兵衛)、成重(久六郎)、茂治(丈右衛門)を子とするものを目にする。 景則の子には則治(又兵衛)と、塚角村別家・宗勝(彌七郎)をみる。

関連資料

黒田官兵衛(如水)の妹 妙圓大姉―備前と筑前の浦上氏と小河氏 福岡城・名島城・伊野皇大神宮 黒田官兵衛(如水)の妹 妙圓大姉―備前と筑前の浦上氏と小河氏 福岡城・名島城・伊野皇大神宮

内容(データベースより)
初代姫路城主黒田官兵衛(如水)は豊臣秀吉の軍師として播磨から筑前へと戦国の世を駆け抜ける。妙圓など三姉妹もそれぞれの数奇な運命を辿る。官兵衛(如水)の家臣となった浦上一族と小河一族の知られざる事実が今明らかになる。福岡城研究の新しい動き・名島学校の新解釈・伊野皇大神宮の豊丹生家の系譜の解釈を試みた。


直原系
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