浦上村宗 - うらかみむらむね

浦上村宗について

生年-没年 不明

浦上村宗(うらかみむらむね)は、諸説あるが浦上則宗の子とされる。

元亀2年(1502)則宗の死後、その後継として赤松義村に仕え備前守護代の地位に在り、主家を凌ぐほどの権勢を揮った。

そのため主君赤松義村と不和になり居城の三石城を攻められたが、家臣・宇喜多能家の活躍などもあって優勢を保ち、義村を幽閉。のちに暗殺して実権を掌握し、細川高国を擁して摂津国に出征したが、義村の子・政村(のちの赤松晴政)による離反に遭って摂津大物(だいもつ)・天王寺の合戦で討死した。

妻は、佐用則純の女子とされる。村宗の二男・浦上宗景は本拠を三石城から天神山城に移したが,家臣の宇喜多直家に権力を奪われることとなった。

関連資料

戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力 戦国期浦上氏・宇喜多氏と地域権力

『戦国期赤松氏の研究』をはじめ、『中世後期の赤松氏』『中世後期山名氏の研究』を刊行してきた著者が、同じ赤松氏領国の浦上氏・宇喜多氏についての論考をまとめ、併せて美作国の江見・後藤・新免氏などの領主の存在形態を分析し、地域権力のありようを明らかにする。
これにより、備前・美作両国に存在する領主の性格を解明する。

【主要目次】
序 章 研究の現状と課題
第1部 浦上氏・宇喜多氏の権力構造
 第1章 備前国浦上政宗に関する一考察
 第2章 備前国浦上宗景の権力構造
 第3章 豊臣期宇喜多氏検地再考
 第4章 豊臣期備前国の都市と経済
 第5章 戦国織豊期宇喜多氏の領国支配について
 −家臣団編成を中心にして−
  付論 戦国織豊期の備前国鳥取荘
  付論 「難波文書」年未詳10月13日浦上村国書状の年紀
第2部 戦国織豊期における美作国の地域権力
 第1章 美作国江見氏の基礎的研究
 第2章 美作国後藤氏の権力構造
 第3章 美作国新免氏に関する一考察
 第4章 戦国期美作国における領主層の特質
 第5章 『新訂 作陽誌』所収 赤松晴政(性熈)発給文書の検討
 第6章 中近世の美作地域における神楽
  付論 「豊楽寺文書」所収 某祐定寄進状をめぐって/美作国田邑荘・二宮荘と立石氏
終 章 結論と今後の課題


直原系
広告