具平親王 - ともひらしんのう
具平親王について
964年-1009年
具平親王(ともひらしんのう)は、第62代村上天皇の第七皇子。
文才豊かで、一条天皇朝(986〜1011)の文壇の中心人物。同じく文人であった叔父の兼明親王(醍醐天皇皇子)が「前中書王」と呼ばれたのに対して「後中書王」と称された。
和歌・漢詩文に長じ、管弦・書道・陰陽道・医術などにも秀でた。→拾遺和歌集、勅撰和歌集、本朝麗藻、和漢朗詠集、本朝文粋、弘決外典抄
柿本人麻呂や紀貫之の歌の評価を巡って藤原公任と論じ合い、後の『三十六人撰』選定のきっかけとなったとされる。
源信、保胤らとの交流から仏教にも深い結びつきを持つ。 左京の六条に豪邸千種殿を営む。
紫式部との交流を背景に、『源氏物語』に影響を及ぼしているという見方がある。
兵庫県加古川市に、具平親王を御祭神とする具平親王神社(通称:大歳神社)がある。
子に、源師房ほか。師房の子孫は村上源氏として院政期に勢力を拡大した。
関連資料
平安朝かな名蹟選集第53巻 具平親王 三十人撰具平親王は歌論について、公任と争う程の当時の大歌人であり、古今の名歌人三十人を撰んだ。一方公任は、三十六人の歌人を撰んだ。これはその具平親王の六条家本である。書風は平安末期ながら高野切第一種の系統に属し、その藤原的な情趣は、名筆資料としても屈指なものである。