赤松則村 - あかまつのりむら/赤松圓心 - あかまつえんしん

赤松則村(赤松円心)について

1277年-1350年

赤松則村(あかまつのりむら)は、鎌倉・南北朝時代の武将、守護大名である。播磨守護。法名から、赤松円心(えんしん)でも知られている。本姓は源氏で、家系は村上源氏の流れを汲む。

後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を掲げて挙兵した元弘の乱において、後醍醐天皇の皇子「護良親王」の令旨を受けて反幕府勢力として挙兵。足利尊氏と共に六波羅を攻め落とした。 建武政権の成立に貢献したが優遇されず、建武の新政から離反。のち、足利尊氏に加担し、北朝擁立や室町幕府の成立を助けた。

禅宗に帰依しており、雪村友梅や宗峰妙超を招いて法雲寺や福田寺の堂宇を建立した。法名を法雲寺月譚円心という。

関連資料

赤松円心・満祐 赤松円心・満祐

内容(データベースより)
建武の中興と足利政権の樹立に対して赤松円心の果した役割は大きかった。やがて赤松氏は播磨・備前・美作・摂津を併領する大守護となり幕府柱石の一家となったが、満祐のとき将軍義教の強圧に反撥してこれを弑逆した(嘉吉の変)。その後零落した家運が政則によって再興されるまでの転変の歴史を、地理及び文化史等の面と併せ描いて興味深い。


 

直原系
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